ル・マン24時間レースで優勝した日本人・日本車【マツダ787B】

ル・マン24時間レースで優勝した日本人ドライバーは二人

フランス中部地方ル・マン市にあるサルテサーキットで1923年より開催されている『ル・マン24時間レース』は、『F1モナコグランプリ』『インディ500』と並び世界3大レースのひとつとして有名なレースです。長い歴史を誇るル・マン24時間レースに数多くの日本人ドライバーが参戦し続けていますが、過去に優勝した経験のある日本人ドライバーは二人しかいません(2016年7月現在)。

ル・マン24時間レースで優勝した日本人・日本車【マツダ787B】
出典:http://www.fsw.tv/freepage/1005/

まずひとりめは『関谷正徳』選手です。1992年にトヨタTS010で総合2位に入賞した後、1995年大会にイギリス・国際開発レーシングのドライバーとしてマクラーレンF1GTRで参加。日本人初となるル・マン24時間レース優勝を成し遂げています。静岡県出身の関谷氏は現在、スーパーGT・トムスチームの監督としてレースシーンの最前線で活躍しています。

ル・マン24時間レースで優勝した日本人・日本車【マツダ787B】
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二人目のル・マン24時間レース日本人ドライバーは『荒聖治』選手です。荒選手のル・マン参戦は1997年のマクラーレンチームのドライバーとしてスタート、1999年からはチーム郷のドライバーとして毎年参戦。2004年大会でプライベートチームながら、アウディR8を駆り日本人ドライバー二人目の総合優勝に加えチーム郷に初優勝をもたらしました。ル・マン制覇後の荒選手はフォーミュラ・ニッポン、スーパーGT、FIA GT1世界選手権などで国内外問わず幅広く活躍しています。

日本車で唯一総合優勝したマツダ787B

ル・マン24時間レースで優勝した日本人・日本車【マツダ787B】
出典:https://ja.wikipedia.org/

ル・マン24時間レースには日本からトヨタ・日産・ホンダのワークスチームが長年参戦していますが、優勝経験のある日本メーカーは『マツダ』だけです。

日本のメーカーとして最も早く、1970年代からル・マン24時間レースに挑戦し続けていたマツダに1991年、チャンスが訪れました。それまでの787を1台と787の改良型である787Bを2台用意。元F1ドライバーである『ジョニー・ハーバート』『ベルトラン・ガショー』『フォルカー・ヴァイドラー』組の55号車が見事総合優勝。日本メーカー車初優勝と共にロータリーエンジン搭載車として初、レシプロ以外のエンジンとしても初という、ル・マン24時間レース史上に残る快挙を成し遂げました。

その後ル・マン優勝車787B『55号車』は、マツダ本社にあるマツダミュージアムで動態保存され、各地のイベントで走行した後展示されていました。もう55号車は走る姿を見せないだろうと思われていましたが、2011年にル・マン サルテサーキットを再び走る日がやってきました。

ル・マン優勝20周年を記念したデモ走行に参加するべく車体をフルレストア、エンジンに至っては新品を用意と大金をつぎこむことに反対する意見を押し切り断行。2011年6月11日に『ジョニー・ハーバート』のドライブにより2周のデモ走行が行われました。

このときの走行ではデモ走行にも関わらず、エンジン回転の上限制限無しという異例さで、正にル・マン優勝時そのもののロータリーサウンドを響かせて快走しています。 ジョニー・ハーバートも少し丸くなりましたが相変わらずのドライビングテクニックですね。

マツダがル・マンを制覇して以来、日本車は優勝から遠ざかっています。2016年のル・マンではトップ走行中のトヨタTS050ハイブリッド5号車が残り3分でトラブル発生、リタイヤという非常に惜しい結果で終えています(結局トヨタは6号車が2位入賞)。大メーカーであるトヨタが何度も2位の壁を破れないのを見ると、マツダの偉業の凄さが改めて分かりますね。


まだ他の日本メーカーがル・マンに見向きもしなかった時代からコツコツと実績を積み、見事優勝に導いたマツダの努力と先見の明には頭が下がりますね。それにしてもジョニー・ハーバート、かなり太りましたがドライビングは現役当時のままの鋭さですね。